明日、ママがいないはそこそこ面白いと思う人が通ります

 「家なき子」の再現を狙いすぎて序盤での演出を非人道的なものにしすぎたことに敗因があるだろうか。
 大騒ぎになっていたので見てみたが、面白いと思った。ただし序盤の演出と後半の演出が激変しており、改変も行ったとのことなのでそういうことなのだろう。序盤の非人道的な扱いをする演出等から、後の展開も見るに耐えないものになると予想する者が、児童養護施設の現職の中から出てくるのは自然なことだという感想。6話あたりから明らかに穏やかな演出になったので、誰でも気づけたはずだ。昭和の時代には、ドラマで意地悪な役をやった役者が街で空き缶を投げられるといった現象にも見られるように、漫然とテレビを見て素直に感化されてしまう人々は確かに存在し、どのような人が見ているかに関わらず、放送すればそれなりに注目されるものには大変な影響力と責任があるということをすっかり忘れているのだろう。
 9話で終了したわけだが、本当はもっと長期でやりたかったタイトルではなかろうか。家なき子は裏切りといじめのループで延々と続いたわけだが、クレームを受けて社会問題化してからの改変は、テンポがものすごくはやく、ハッピーエンドに向けてたった数話で完結するという始末になっている。
 ドラマは悪くはなかったが日テレの戦略は大きく失敗した。児童養護施設のような問題は、それを「ネタ」にすること自体が「エグい」わけだから、商材として「ネタ」にする上では自分の認識や学識以上の配慮が必要になるという良い例にはなったのかも。きっと脚本家やスタッフのアタマの中では、家なき子のように「ウケる」想像しかなかったのだろう。仮に序盤の様な展開を貫くにしても、それはそれでスタッフに対する批判は出ただろう。なぜなら、不幸な子供が幸せになりかけて蹴落とされるなどといったサイクルを「ネタ」にすればよいという「エグい」戦略をとろうとしていることが自明だからだ。