宮台真司は面白いがやはりホラ吹きだと思うとき

入試という承認課題のみを目標とすることのバカバカしさを述べており、そこだけ取れば同意もできるのだが、ここで一つ気を付けないといけないことは、宮台が思い描く統治の形態の核は、貴族政治の下に下々の者がいるというものである。
これを日本に当てはめて考えると、システムを直接支配したいと思った場合、学歴や人脈はあったほうが有利なのは明らかである。しかしそのようなポストは限られており、いくら実力が拮抗していようとも誰かを選ばなければならない。どうせそうなら、そのようなポストに就く人間はあらかじめ絞り、その他はそれなりの道でそれなりの実力や動機を持って生きた方が国の統治は最適に近くなる、と宮台は考えている。
受験を否定する学識者や天才は確かに珍しくない。青色発光ダイオードのあの人などもそうだ。しかし宮台のそれは、宮台自身が現在思い描いている最適な国の統治を目指すため、宮台の発言を聞く一部の人の行動に影響を与えるための方便的意味合いが強いと考えられる。金かポストがなければ苦労人になることは自明であり、大多数がそうなわけだが、そういった人々を表面的には承認課題から解放するように見せかけ、苦労人になれよと言っているわけである。苦労人というのは「結果が出ない承認課題に支配される」階級だから、そういわれれば大体の人は嫌だと思う。
宮台は革命家に今でもなりたいと思っているそうだが、一体なにがしたくてなにが出来ると思っているだろうか。もはや職業学者の枠は超えられないであろう宮台はこれから気持ち悪くなっていってしまうのか。